唄を通じて災害を風化させない「あの日、活動」

最近の活動記録

東日本大地震から11年

3.11

東日本大地震から11年

3.11 東日本大地震から11年

物質的な復興はもちろんだけど
私は心の復興に寄り添える人でありたい

※ ※ ※

震災から約2年経ったころ
被災地の学生さんたちと「祈りを捧げるコンサート」をご一緒させていただく機会がありました

稽古のため、被災地である陸前高田市を訪れ、あれから2年経ち、まちはどうなっているのだろうか、、

緊張なのか、不安なのか、
なんとも言葉では表せない感情で
車に乗っていたのを覚えています

車の窓からの景色は
どこまでも広く何もなくて
人の姿も見当たらず
時折おびただしい瓦礫が積み重なっている山だったり
窓枠やベランダ、もちろん部屋の中ごとが流されたであろうマンションという名の廃墟が目につき

東京で見ていたニュースがいかにごく一部のことなのかを見せつけられた気がしました

稽古は陸前高田の学校の音楽室で行われることになっており
どんな顔をしてみんなに会えばいいか、どんな言葉をかけるべきなのか、ずっと緊張していましたね

だけど、わたしたちが到着するやいなや、明るく元気な学生さん達が
嬉しそうに近づいてきてくれて
大歓迎で迎えてくださったことを覚えています

変な話なのですが、それにとても安堵している自分がいました

コンサートに参加してくれた学生さんの中には、当時仮設住宅で暮らしていた子はもちろん、兄弟や家族、なかには一緒に暮らしていた家族全員がいなくなり、おばあちゃまと仮設住宅で暮らしているという子までいました

学校の廊下や教室には
震災で亡くなった生徒さんや先生方の遺影がずらりとならんでいて、正直まったく歌えるような気分じゃなかったです。

それでもそこで出会った生徒さん達はとにかく明るく笑顔で、まったく自分の辛さや寂しさや悲しさなんて見せなくて、私は圧倒されたと共に「生きなくては!」と強く決意したのを覚えています

辛い時ほど平気に装ったり
気丈に振る舞ったり…

私は人の強さを信じているし
時には「大丈夫!」と言い聞かせ立ち向かうことも必要だと思います

だけど、やっぱり心のどこかにぽっかり穴があいていたり、言葉にできない思いがあったり

誰しもが多かれ少なかれそんな思いを持っていると思うし、
そんな時もしかしてそっと話を聞いてくれる人がいたら、ただうんうん言ってるだけだとしても、
救われることがあるんじゃないかなと私は思います

私自身も何度となく人に救われ、言葉に救われ、音楽に救われてきたからでしょうか。

私にできることはほんのほんのささいなことかもしれないけれど、
誰かの心にそっと寄り添えるような人でありたいと願います。

そして、私は
精一杯自分らしく生きていきたいと思います。

※ ※ ※

2020年春に活動して以来、感染症の蔓延、現在は海外での戦争がはじまり、そして震災から11年。

自分たちの力ではどうにもならにような非常事態も続き、私自身もなかなか思うように活動もできない日々です。

それでもまた少し世の中が落ち着いてきたら、沢山歌を届けていきたいと思っています。

またその日がきたら、全国の皆さんに元気でお目にかかれますことを楽しみにしています。

2022.3.11

北野里沙の一言

心の復興に寄り添える人でありたい

ここで唄ったレクイエムソング
The day of Tomorrow