唄を通じて災害を風化させない「あの日、活動」

最近の活動記録

【インド・コルカタ】マザーテレサの家 ボランティア活動 ①

【インド・コルカタ】マザーテレサの家 ボランティア活動 ①
マザーテレサの家 (孤児の家・死を待つ人の家etc..)
1950年 マザーテレサにより立ち上げられた「Missionaries of Charity 神の愛の宣教者会」
貧しい人の中の貧しい人の為に働くというポリシーで作られたのが[死を待つ人の家]
誰からも見向きされず、路上で死にゆく人に「せめて最期くらいは人間らしく愛を受けて欲しい」マザーテレサの思いは今も生き続ける。

【インド・コルカタ】
短い期間でしたが、マザーテレサの家にボランティア旅に行ってきました。

ミッション系の学校だった事もあり、小学生の頃からマザーテレサの伝記を何度も読み、育ちました。大人になってからもどこか頭の片隅にマザーテレサの存在があり、今回私なりにその答えを探しに行ったような気がしています。

———————————
【マザーテレサの家】
マザーテレサは、
1948年〜1997年まで 修道女として
この場所で生活し、亡くなられました。

1950年 マザーテレサにより立ち上げられたのが「Missionaries of charity 神の愛の宣教者会」という修道会。

「貧しい人の中の貧しい人の為に働く」というポリシーを掲げ、はじめに作られたのが、

「死を待つ人の家」
(ニルマルヒダイ 又はカーリーガード)
路上やスラムで暮らす
身寄りのないお年寄りの為のホスピス

マザーテレサの施設は
「死を待つ人の家」を含め 5つあり、
世界各国からのボランティアが集まります。

週に3回あるボランティア登録日に参加し、
自分の希望施設をシスターに伝え、許可証を頂きます。(希望の通らない事もあります。)

私は希望通り、午前中は「孤児の家」(シシュババン)、午後は「死を待つ人の家」で活動することになりました。

施設内は原則撮影禁止。


※[孤児の家]シシュババンのボランティアタイムスケジュール。

どこの施設も午前中の仕事がだいぶヘビーなようです。 (12月、1月は最低気温5度前後にはなる、予想外に寒いインドですが、4月頃になると日中40度近い日が多々あるとのこと。仕事はまだ気温の低い午前中に済ますのが習慣なのかもしれません。)

ボランティアの仕事は多岐にわたり、
食事の介助、薬の管理、衣類着脱介助、
洗濯、部屋の清掃。
子供の施設であれば おしめの交換や
子供たちと遊ぶこと、
大人の施設でもお話しを一緒にしたり、
排泄や入浴介助など
盛りだくさんの内容。

医療、介護の知識もなく、ましてや子供を産んだこともない私に何が出来るだろう、、、
弱気になっていた私に追い打ちをかけたのが、 ボランティアの派遣先でした。

希望通り [孤児の家](シシュババン)に
派遣されたのですが、その中で2つの施設に分かれており、1つは健常孤児の家。
そして私が担当した 施設は
[Special Needs Children ]
(重度の障害を持つ孤児の家)

思いがけない現実と自分の初めて抱く感情に
向き合うことになるのです。。。

(インド・コルカタ ボランティア旅の記録
続く。。。)
—————————

インド・コルカタの地は、予想を遥かに超えた混沌と貧困が溢れていました。
街中の至るところに平然と遺体が転がり、
力なく物乞う人々の群れ。

だけど 本当の貧しさというのは
どういったことを言うのでしょうか?

お金がないこと? いい洋服が着れないこと?
食べるものがないことでしょうか??

私がこのボランティア旅で得たことは、
「貧しい」という言葉の概念が根底から
変わったことではないかと思います。

身なりが汚れてボロボロの人も
超リッチなお金持ちも
最終的に人は皆同じ。
本当に心が求めていることは
誰もが皆同じなのではないでしょうか。

インド・コルカタ ボランティア旅の
記録はまだまだ続きます▷▷▷

【インド旅行記】ブログ更新中!
インドで見たこと、聞いたこと、触れたこと、感じたことを思いのまま書いています。
https://ameblo.jp/ciao0630/

北野里沙の一言

愛の反対は、無関心。
「人々を助ける」のではなく、「人々に愛を送る」

インド・コルカタのボランティア旅で
貧しさという言葉の概念が変わりました。
最終的に人は皆同じ。
本当に心が求めていることは
誰しも皆同じなのではないでしょうか。

北野 里沙

ここで唄ったレクイエムソング
The day of Tomorrow